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トマス・オズボーン (初代リーズ公) : ミニ英和和英辞書
トマス・オズボーン (初代リーズ公)[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はつ]
  1. (n,adj-no,n-suf) first 2. new 
初代 : [しょだい]
 【名詞】 1. first generation 2. founder 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

トマス・オズボーン (初代リーズ公) : ウィキペディア日本語版
トマス・オズボーン (初代リーズ公)[こう]

初代リーズ公トマス・オズボーン(Thomas Osborne, 1st Duke of Leeds, KG, PC, 1631年2月20日 - 1712年7月26日)は、17世紀イングランドの政治家。イングランド王チャールズ2世の側近として活動、ウィリアム3世メアリー2世夫妻の治世で公爵に叙爵された。ウィリアム・テンプルの妻ドロシー・オズボーンは従姉妹に当たる。
1665年ヨークで国会議員に選出されたのをきっかけに政界へ進出、1668年に海軍主計長官、1673年審査法で辞任したクリフォード男爵に代わって大蔵卿に就任、同年にラティマー子爵に叙爵された(しかし、すぐに次男のペレグリンに代えられた)。翌1674年にダンビー伯爵に叙爵、チャールズ2世の側近集団であったcabal(クリフォード男爵、アーリントン伯バッキンガム公シャフツベリ伯ローダーデイル公)が分裂したため代わってチャールズ2世の側近となり、外交と議会運営に尽力した。
外交では親フランスだった方針を反フランスに転換、チャールズ2世の甥でオランダ総督ウィレム3世(後のウィリアム3世)とチャールズ2世の姪で弟ヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世)の娘メアリー(後のメアリー2世)の結婚を取り纏め、議会の反発を和らげた。一方、議会内部で宮廷党と呼ばれるグループを結成、与党勢力を作り上げて政局を安定させていた。しかし、1678年カトリック陰謀事件の煽りでチャールズ2世の命令で行ったフランス王ルイ14世との密約が野党のホイッグ党に暴露され、翌1679年に失脚した。同年にロンドン塔に投獄されたが、1684年にホイッグ党の衰退により釈放された。
チャールズ2世が亡くなりジェームズ2世の治世になると専制に反対してオランダ総督ウィレム3世と連絡を取り合うようになり、1688年に6人の貴族(シュルーズベリー伯チャールズ・タルボットデヴォンシャー伯ウィリアム・キャヴェンディッシュ、ラムリー男爵リチャード・ラムリー、ロンドン主教ヘンリー・コンプトンエドワード・ラッセルヘンリー・シドニー)と共にウィレム3世・メアリー夫妻を招聘、名誉革命のきっかけを作り北部のヨークシャーを押さえた。この功績で翌1689年にカーマーゼン侯爵に叙爵、同年枢密院議長に任命され政権運営を担い、1694年にリーズ公爵に叙爵された。しかし、同年にウィリアム3世がホイッグ党を登用してジャントー政権を樹立するようになると影響力を失い、翌1695年に収賄の罪を議会に弾劾され、1699年に議長を辞任、1712年に死去。長男のエドワードに先立たれたので、リーズ公爵は次男のペレグリンが継いだ。
トマスが結成した宮廷党は政党として発展、後のトーリー党へと変化した。
== 子女 ==
1651年、第2代リンジー伯モンタギュー・バーティの娘ブリジットと結婚、9人の子を儲けた。
#エドワード(1655年 - 1689年) - ラティマー子爵
#息子(1657年)?
#アン(1657年 - 1722年) - ロバート・コークと結婚、ホレイショ・ウォルポールと再婚。
#ペレグリン(1659年 - 1729年)
#ブリジット(? - 1718年) - プリマス伯チャールズ・フィッツクラレンスと結婚、ヘレフォード司教フィリップ・ビッセと再婚。
#キャサリン(生没年不詳) - ジェームズ・ハーバートと結婚
#ソフィア(1661年 - 1746年) - ドノー・オブライエンと結婚、レミオンスター男爵ウィリアム・ファーマーと再婚。
#マーサ(1664年 - 1689年) - バス伯チャールズ・グランヴィルと結婚。
#娘(生没年不詳、夭折)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トマス・オズボーン (初代リーズ公)」の詳細全文を読む




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